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女子テニスで元イギリスのエースで“バリー”の愛称で親しまれていたE・バルタチャ(英国)が3日の早朝、祖国イギリスで肝臓ガンのため30歳の若さでこの世を去った事が、女子プロテニス協会の公式サイトで伝えられた。
ウクライナの首都であるキエフ生まれのバルタチャは、家族や友人が見守る中、安らかに永眠した。
バルタチャは地元で開催された2012年ロンドン五輪にはイギリス代表として出場したものの、昨シーズンは怪我に泣かされシーズン終了の11月に現役引退を表明した。
その数週間後には、コーチでもあり長年交際を続けていたニノ・セヴェリーノ氏と結婚式を挙げていた。そんな彼女が肝臓ガンの宣告を受けたのはその直後、今年の1月だった。
「美しく才能溢れ、聡明なバリーを失った事に言葉もなく悲しみに打ちひしがれています。彼女は素晴らしい女性で、その感動を与えるような精神と、温かさ、そして優しさで多くの人々へ感銘を与えていました。」と、パートナーのセヴェリーノ氏は悲しみに暮れた気持ちを語っていた。
バルタチャは一流のスポーツ一家に生まれた。父のセルゲイ氏はウクライナとイギリスでサッカー選手として活躍。1980年のモスクワ五輪にはソビエト連邦代表として出場し銅メダルを獲得していた。母のオルガも5種競技の選手としてソビエト連邦代表選手として活躍していた。
バルタチャは19歳の時に肝臓疾患であると診断され、その後は投薬治療と血液検査を受けながらプロとしてツアーを回っていた。
「エレーナ(バルタチャ)の生涯は簡単なものではありませんでした。そして彼女は常にその強さを見せてくれていましたし、ユーモアのセンスや不屈の精神を常に持っていた女性でした。」と、女子プロテニス協会のステイシー・アラスター会長はコメントした。
彼女の自己最高ランキングは2010年9月に記録した49位で、2002年のウィンブルドン、2005年と2010年の全豪オープンで3回戦進出がグランドスラムでの最高成績だった。昨年は足首の怪我のため満足にツアーを回れず、その結果11月に現役生活にピリオドを打った。その後は若手育成に力を注いでいた。
「私達はイギリス・テニス会の中心から明るい光を失ってしまいました。」と語るのはイギリス女子フェドカップ監督のイアイン・ベイツ氏。「これからも心に留めておきたいたくさんの思い出があります。しかしこの出来事はイギリス・テニス界と世界の女子テニス界の間に大きな溝を築く事になりました。このニュースがどれほどの悲しみかを言葉では表す事が出来ません。」
バルタチャはすでに6月にテニスのチャリティ・イベントの開催を予定していた。そのイベントは『ラリー・フォー・バリー』と称するもので、ガンを専門に治療している病院とバルタチャ自身のテニス・アカデミーへの基金を募るもの。それには子供の頃から親交のあるA・マレー(英国)や、M・ナブラチロワ(アメリカ)、T・ヘンマン(英国)らも参加を予定している。
「バリーは非常に思いやりのある人間で、常に他人を優先にしていて、温かく楽しい女性でした。彼女が去りながらも後世へ残してくれた素晴らしい実績は、『エレーナ・バルタチャ・アカデミー・オブ・テニス』と言う、彼女が心から愛したテニスを貧しい子供達にも教えたいと思い創設したアカデミーです。」とアラスター会長は、バルタチャの生前の意思を代弁していた。
また現在開催中のムチュア・マドリッド・オープンでは5日、バルタチャへの追悼式を行った。
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