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男子テニスで今季限りで現役を退いたJ・ブレイク(アメリカ)は、子供の頃から数々の苦難を乗り越え世界ランク4位にまでのぼりつめるなど壮絶な人生を歩み、14年のプロテニス・プレーヤーとしての生活に幕を閉じた。
元ATPプレーヤーだった実の兄であるトーマスの影響もあり5歳でテニスを始めたブレイクは、すぐにその才能を開花させた。しかし、13歳の時に激しい脊柱側弯症を患い、1日18時間も固定器具を装着しなければならない生活を強いられていた。
病を乗り越えたブレイクは大学へ進学すると、すぐに全米での大学生ナンバーワン選手となり、1999年19歳でプロの道へと進んだ。
2001年8月に初めてトップ100入りを果たすと、2002年にはデビスカップのアメリカ代表に選ばれ、その年の8月のワシントンDC大会で初タイトルを獲得する活躍を見せた。
そんなブレイクに悲劇が襲ったのは2004年。5月にイタリアのローマでマスターズ・シリーズに出場していたブレイクは1回戦で敗退したものの、クレーシーズンへ向けて練習を続け、同胞のR・ジネプリ(アメリカ)との練習中に転倒してネットポストに激突。脊椎骨破砕する重症を負ってしまった。
その怪我を克服したブレイクは、2005年に2度の優勝に1度の準優勝を飾ると、2006年にはキャリア・ベストとなる5度の優勝と3度の準優勝を飾り、同年3月に初のトップ10入りを果たした。11月には自己最高位の4位を記録。
以降も安定してトップ10前後を維持していたブレイクの日本人に印象に残る試合は、2008年2月に行われたアメリカはデルレイビーチ大会だろう。
当時世界ランク12位だったブレイクは第1シードで出場しており、順当に決勝戦まで勝ち上がった。その決勝戦で対戦したのが、当時18歳で同244位の錦織圭(日本)だった。予選から勝ち上がっていた錦織はフルセットの逆転でブレイクを下し、ツアー初優勝を飾り、日本のみならず世界にその名を知らしめた。
しかし、その後のブレイクは怪我に泣かされる事となる。2009年は足の指を骨折。2010年は右膝を負傷し、満足なシーズンを送れなかった。
昨年12月に33歳になったブレイクは今季も復活をかけて現役生活を続けたものの、ATPツアーレベルでは9勝14敗と精彩を欠いた。地元でのグランドスラムである全米オープンの1回戦でI・カルロビッチ(クロアチア)に2セット先取するも、その後の3セットを奪われて敗退。これがシングルスでの現役最後の試合となった。
また、2003年から毎年チャリティ・イベントを開催し、癌患者や癌研究への支援を行うなど、オフコートでも慈善事業にも携わっていた。
【ジェームズ・ブレイク】
プロ転向:1999年
キャリア通算成績:366勝256敗
自己最高ランク:4位(2006年)
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(記事/弓削忠則)
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